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今日は、朝から曇りの状態で昼ころから小雨が降り出した。塗装工事は、錆止めから始めたけど、雨が降り出したので途中で、工事を中断した。

夕方、隣村(紙谷地区)の友から明日のゴルフの誘いがあった。特に予定はなかったのでOKした。場所は大室山の傍のゴールド川奈で、明日、AM7時半に迎えに来てくれる。

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本日の夕食は先日、千葉の古銭仲間から頂いたローストビーフ

老化と死

「老化と死」について考えてみた。自分の老化だけでなく、また、人間だけでなく地球上のあらゆる生き物、集団、組織等、様々な老化も含めて、自分なりに掘り下げてみた。

 結論は、そんなことを考えるだけ時間の無駄。自然の哲理に任せるしかない。つまり、世の中、なるようになるしかないということ。

 でも、それじゃ、身も蓋もないので、結論に至るまでに考えたことを紹介する。以前に、食べ過ぎは老化を早めるということを聞き、以来、朝食や昼食は努めて避けるようにしている。ネズミの実験でも食事を減らした方が長生きするらしい。また、巷で流行っている抗酸化食品、健康食品も寿命には全然関係ないと思っている。それよりも腹八分、腹七分の方が長生きするらしい。つまり、ある程度の飢餓状態の方が、身体に生きようとする力がより強く備わるらしい。日本の長寿社会を形成したのも、戦後の食糧難時代に生まれ、育った団塊世代である。

 また、ストレスはないよりもあった方がよいと言われている。女性は妊娠、出産、育児等、男性に比較にならないほどのストレスを受けている。しかし女性の方が長生きする。また、ミツバチも女王バチの方が働きバチの数倍以上も長生きする。だから、僕は嫌いなゴルフでストレスを摂取しているのだ。

 人間だけでなく大抵の生き物には寿命がある。そう、生者必滅、盛者必衰の理である。僕も終には山河に還る。その時、個人的にたとえ長生きしたとしても、本人にとって、既に意味がない。また、あまり長生きされると、集団にとって足かせとなり迷惑なのだ。

 個々の死が種の生存競争で勝ち抜くために有利である限り、寿命遺伝子は決して無くなることはない。でも、環境の変化が、種の存亡にかかわる場合は、寿命遺伝子そのものに変化が起こる可能性がある。柳の根は数千年生き続けるというし、アホウドリは老化しない、またベニクラゲは寿命がなく永遠に不滅です。

 例外はあっても、人間の老化と死は、避けられないし、種にとってはむしろ喜ばしいことなのです。筋力や感性が衰えゴルフが下手になるのは極めて自然であり、嘆くことはないのだ。でも僕はあえて飛距離やスコアにこだわるのは、どうせ、山河に還るなら、ストレスをより多く感じて、今を健康で楽しく生きるためだ。僕がこれまでに体験してきた限りでは、生きることに淡白である人より、好奇心や執着心のある方が長生きしていますね。特にゴルフは闘争心と執着心がないと駄目。「悪い奴ほど長生きする」?これは半分嘘で、半分真実。自分の遺伝子を残すために戦うこと(生存競争)が見方によって良くも、悪くも見える。

 ところで、コロナパンデミックは人間社会の生存競争にどの様な影響を与えるか?不謹慎かもしれないが、実は興味津々なんです。とくに国家間の力関係がどう変わるか、勝ち抜くのは誰か?想像するだけでも楽しい。今、僕はコロナ社会に生きる喜びをひしひしと感じています。感染するかもしれないという、この緊張感がいいですね。

 僕は、今、未来のない76の年寄りだ。本音を言えば、長生きしたい気持ちがない訳でないけど、半分以上は明日、死んでも仕方ないなぁという気持ちもある。今、僕があえて心掛けているのは、自他に対する優しさと思いやり、そして闘争心。我々は生きていく(食う)ために、お互い仲良くして、愛し合い、助け合い、そして戦わなければならない。この矛盾に満ちた社会、愛憎が同居する心の中で、どうバランスを取りながら生きていくかだね? そのために僕はゴルフをやっている。生きるための術を生で体験できるんです、何しろ気の置けない仲間同士が、味方であり敵でもある。顔には出さないけど、相手の不幸(OBやミス)を喜んだり、逆に自分の不幸に悔しがったり、怒ったりとね。更に昼食事には生ビールを飲みながらバカ話が出来るんだ。こんなスポーツは他にない。とにかく面白い。ゴルフって何でこんなに楽しいのかなぁ?